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キャリこれ

“絶対の自分”ではない、受身として立ち現れる個人の在り方―仏教・東洋の教えから見るキャリア観について臨済宗僧侶・玄侑氏に聞く

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2021.1.13


 1月15日に開催されるイベントのテーマは「人間性の発揮によって生まれる成熟した社会とは?」です。当日上映するインスピレーション映像には5人の専門家や実務家の方々が登場します。手前味噌ですが、まさに凝り固まった意識をたくさん刺激してくれるとても素敵な映像に仕上がっているので、楽しみにお待ちください!
 さて、本日はイベントの映像に出演頂いた玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんについてご紹介します!なぜ玄侑さんだったのか?それは、「キャリこれ編集メンバー」の中で出た話題がきっかけでした。「そもそもキャリアの理論って、西洋からの輸入が多くない?」「輸入ばかりしていていいの?日本ならではのキャリア観も大切にしたいし、知りたい!」。
 そこで、仏教や日本古来の教えについて精通する玄侑さんの名前があがりました。玄侑さんの知恵や、クルンボルツ博士のハップンスタンス(偶発的)キャリア理論を地ですすんでいらっしゃるような生き方は、まさにパラレルワーカーの先駆けかもしれません。そんな玄侑さんが人間性や成熟、そしてその先にある社会に対して何を見ておられるのか、大変興味があり、その世界観や人間観をお伺いすることに。とっても良いお話をたくさん聞けましたのでご紹介します。
玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)氏のプロフィール

臨済宗の僧侶。芥川賞受賞作家 
東日本大震災復興構想会議委員
新潟薬科大学客員教授
京都大学こころの未来研究センター連携委員
第46回仏教伝道文化賞受賞
代表作「中陰の花」2001年文藝春秋
福島県三春町にある臨済宗妙心寺派の福聚寺(ふくじゅうじ)の長男として誕生。20代ではコピーライターや小説の執筆活動を含め様々な仕事を経験する。その後京都嵐山の天竜寺へ入門。そこで多くの人の人生に触れることを経て、自然と筆が進み執筆活動も並行。2001年「中陰の花」にて第125回芥川賞を受賞。作家と僧侶を融合させてきたキャリアの持ち主。
 インタビュー当日、ドキドキしながらZoom入室。なんと、玄侑さんのバーチャル背景は鮮やかな癒しの緑の草の写真でした。そこに触れさせていただくと、意外にもこんなお話しが。
水野 「玄侑さん、バーチャル背景が素敵ですね!」
玄侑さん 「ははは(笑)草、好きなんですよ。草ってとっても賢いんですよ」
 草は、じつは木よりも進化系なのだそう。工夫をして繁殖している。人の靴の裏にくっついて遠い土地まで移動する種もいるし、たとえ焼け野原になっても、日が当たったところから草が芽を出す。動物や昆虫とのやりとりも実にユニークで、共生や遊び心をまさに体現している生物とのこと。草をそんなに愛おしそうに話す玄侑さんが印象的でした。震災復興に携わった玄侑さんは、被災後の荒れた土地に芽を出した草にどんな想いを馳せただろうと想像しながら草の話をお聞きしました。

働くということ

 玄侑さんにとっての働くとは?まずはこんな問いに次のようなお返事をいただきました。
 玄侑さん 「私は、僧侶ということと、ものを書くという仕事をしています。僧侶という仕事はほとんど受身です。依頼があって対応する。じつは、小説家もそうです。実現したい自己イメージを私は持っていません。日本語の“幸せ”という言葉がありますが、奈良時代には“為合(しあわせ)”と書いたんです。天が為すことに合わせる=ほとんど運命と同じ意味でした。それから室町時代になると、仕事の仕になり、“仕合(しあわせ)”となりました。相手があって、うまく仕合わせていくということ。しあわせというのは受身の対応力なんです。自然災害の多い国ならではかもしれませんね。だから、自分の欲望を実現していくという観点はないんですよね。欲望の実現は不幸のもとかもしれません。」
 改めて、しあわせは日々の思いがけないところにあって、「受身」というのは対応力、仕合せ力なんだという言葉が染みました。

「やむを得ず」という動機

 受身と言っても、そこに自分の意志がないという意味ではありません。自分の中で沸き起こる気持ちも大切だそうです。
玄侑さん 「“いてもたってもいられなくて”というのは、とてもきれいな動機です。“やむを得ず”というのは行動原理の最高のものだそうです。」
 行動原理の最高だなんて素敵な響きです。みなさんが最近、「いてもたってもいられない」や「やむを得ない」気持ちで起こした行動は何でしたか?じつは私は先日、帰宅時の電車内で医療マーク(+)をつけたお年寄りの方を前にして優先席を譲らない人がいて、一瞬ためらいながらも思わず歩み出て「すみませんが、席をゆずってください」と頼んだことがありました。後から考えると赤面するくらいお節介です。私の父も病気を持っていることもあり、辛さが分かるのでいてもたってもいられなかったのです。その時、座っていた3人が同時に席を空けてくれました(笑)。
玄侑さん 「それもまた、状況の中で求められているのだと思いますよ。それも受身です。受身の方がすっきりしているんでしょうね」
 確かに、その瞬間は自己像やエゴの意識は全くありませんでした。あの感覚も受身なのかと思うと受身の概念が少し変わりました。まさに、状況の中で立ち現れてくるのが自分らしさなのだと思うと、もっとその時々の自分の気持ちに対して純粋に素直になれるような気がしました。経験の中に自分を見るという経験代謝の考え方にも通じるかもしれません。

受身というあり方

 受身を大切にする玄侑さんは、仕事を積極的に選ぶということはせずに、相手に応じ、物理的に無理なこと以外は委ねてみるそうです。なぜなら、自分は自分が思っている以上に複雑で多様で可能性を持っているため、思わぬことが見つかったり、新たな自分を知れたりして実に興味深いからだそうです。
 玄侑さん 「我々が唱えるお経に、“無相(むそう)の相を相として、行くも帰るも余所(よろ)ならず”という言葉があります。“私はこういう姿である”という私はない、無い姿を私として、どこへ行ってどういう私が立ち現れようと、それが面白いでしょう、という意味です。日本の神のあり方にも似ていますよね。同じ神でも、神としての名前が状況の中でいくつも変わるのです。それでいいんじゃないかと。」
 個の存在が強い欧米文化から生まれたキャリア観と、集団の中の個という意識の強い日本文化で醸成されたキャリア観の違いを垣間見た気がしました。
 日本文化におけるキャリア観は、ややもすると高度成長期に見られた「集団行動」に象徴されるような、歯車の一部や企業兵士のメタファーを連想しがちです。これが現代では、周囲に合わせてばかりで主体性がない、Yesマンばかりだ、なんていう言葉で語られることがあります。受身なのが悪いイメージとして語られることもあります。
 しかし、今回玄侑さんのお話しからは、そのイメージががらりと変わりました。むしろ状況や相手とのかかわりの中で立ち現れる個人の意識や感性をみくびってはいけない、というメッセージを強く受け取ったからです。それは有機的で、変幻自在な姿です。また、受身というのは、強いしがみつきやこだわり、行き詰まり感などを一旦脇におく上でとても有効だとも考えられます。先行きが見えない中でも一歩前に進む力を与えてくれます。受身であっても個人が失われることなんてないのです。
 もし、自分が失われているような気がしていたとしたら、自分をみくびってしまっているのはむしろ自分なのかもしれません。受身そのものが、自分を空しくさせているわけではないのだということです。その時々に現れる自分をむしろ面白がるくらいでもいいんじゃないですか、という視点を頂きました。

中道(ちゅうどう)の生き方

 玄侑さんへのインタビューを通じて、受身のあり方、ご縁によって立ち現れる自分、「これが絶対」ということはない世界観など、色々と考えさせられました。読者によっては、やっぱりこれでいいんだなという、どこかほっとする感覚を持たれたかもしれません。コロナ禍において私たちは様々な判断が求められますが、自分を決め付けすぎず、その時々において最善を選んでいくしなやかさ、「共生的な生き方」の大切さも浮かびあがってきました。最後に、「中道」という考えも興味深かったのでご紹介します。
玄侑さん 「中道とは、両極端を知らないと真ん中が分からないという仏教の言葉です。両極端を知った上で真ん中を知る。英語だとスタンダードが二つあるという意味でDual Standardという言葉と近い。両極をふまえておくことが重要なんです。
 例えば、日本のことわざには必ず両方の意味の言葉があります。“急がば回れ”と言いながら“善は急げ”、と言いますね。どちらが正しいとかではなく、両方ふまえておいて、状況に応じて判断できるようにするんです。そういう言葉ってたくさんあるんです。“大器晩成”と“栴檀(せんだん)は双葉よりかんばし(大成する人物は幼少から才気があるという意味)”という言葉があります。または、“立つ鳥跡を濁さず”と“旅の恥は掻き捨て”など。かならず対になることわざが日本にはあります。絶対はないんですね、自分でその都度結局判断するんです。
 逆に、対の意味がない言葉は信用しない方がいいのかもしれません。“今日できることは明日に伸ばすな”という言葉がありますね。これは、逆に永遠に今日仕事をし続けることになるんですよ。おかしいですよね。反対のことわざをつくらなきゃいけない。それをふまえた上でベストなことを探るのが重要なんです。」
 確かに!日本にはことわざやおばあちゃんの知恵(笑)のようなものがたくさんありますが、必ず対になっていて、じつは絶対がないとは考えたこともありませんでした。米国の心理学者ハリィ・ジェラットの「積極的不確実性」などの考えにも通じます。
 日本の歴史をふりかえると、自然災害に見舞われやすい土地柄もあり、私たちは常に不確実性にさらされ、色々な判断に直面しているため、両極をふまえて自己選択していく力を備える教えが個々人や文化の中にも脈々と流れているのかもしれません。玄侑さんからは、これからの時代に必要な人生観・キャリア観として、受身のあり方、やむを得ずの動機、自分をみくびらない、中道、など素晴らしい知恵をたくさん頂きました。
 イベント本番で上映する映像では、ここでは紹介していない切り口もご紹介しています。玄侑さんの世界観を一緒に味わい、みなさんとも深めていけると嬉しいです。