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キャリこれ

【これからのキャリアに必要な「創造性」とは?】 vol2.ミドルエイジの越境への挑戦(前編)

連載記事

2021.12.8

昨年来のパンデミックに象徴されるように、現代は将来の予測や先の見通しが困難な時代です。このような時代、数値を積み上げていく論理・サイエンスをもとにした思考・行動様式だけでは限界がある、とビジネスの場で言われ始めています。
また、ビジネスだけでなく、「これからのキャリア」を考える際にも、論理・サイエンスだけでなく「常識や固定観念にとらわれず、個々人の経験、興味、課題感、価値観などを礎とし、自己を表現・具現化する」創造的思考のプロセスが参考になるのではないかと、キャリアのこれから研究所では考えています。
中でもReframing(リフレーミング)という手法を通して、キャリアにおけるフレーム・とらわれを知り、今までの考えとは違った角度や解釈でキャリアを捉えていくことで、キャリアにおける”創造性”を見出せるのではないかと思っています。
◇Reframingの思考実験をおこなったvol.1の記事はこちら
今回は、「1つの組織にて働き続けなければならない」というとらわれを越え、組織の中堅である40代前後で越境を経験したお二人にインタビュー。お二人から、越境に至った経緯、越境を通して見えてきた「自分」、越境経験から感じた「個人と組織の関係性」などをお伺いしました。
田村勇気(たむら ゆうき) 氏 プロフィール
社会実験ユニットsouple(https://souple.tokyo/
特定非営利活動法人365ブンノイチ(https://365bunnoichi.tokyo/)代表・プロジェクトリーダー
大手広告代理店在職中にエンタメのアプローチで社会課題を解決するアイデアによって「ソ ーシャルビジネスグランプリ」で優勝。プロボノNPOを立ち上げ、その活動が数々のメディアやSNSで話題となる。グッドデザイン賞受賞などを経て独立。
現在はコンテンツビジネス・ソーシャル・スタートアップと3つの軸足を持っており、複数の場で事業を展開している。
西田和史(にしだかずひと) 氏
トヨタ自動車株式会社(https://toyota.jp/)生産技術部門
現在株式会社ハッカズーク(https://www.hackazouk.com/)出向中
新卒トヨタ入社後にエンジニアとして従事していたが、産業変革期において自社への貢献 を考え自らが多様性を取得する機会が必要と実感。ハッカズークというアルムナイとの関 係構築をする異業態・異業種に出向中。

1,個人のアイデンティティが揺らぐ時

田村さん、西田さんの共通点は、「入社すれば一生安泰」というイメージのある大企業からの越境経験があることです。お二人がなぜ「越境」を考えるに至ったのか、その当時の環境変化や、組織の景色、そこから感じていたことなどを、まず聞いてみました。
西田氏:「終身雇用の意識で働いてきたので、キャリアというよりも『何のスキルを身につけるか』という感覚でいました。自分のキャリアそのものを考える機会はあまりなかったかもしれません」
西田さんが新卒でトヨタ株式会社に入社しておよそ15年。エンジニアという職域の中で、自分の幅をどう拡げていくか、できることをどう積み上げていくか、それを考えることがキャリアの道筋でした。
西田氏:「在籍しているプレス生技部は車の外板やフレームである鉄板部分をどうやってつくるかという領域です。生技・製造技術が変わっていき、IT技術の発達、人口知能の技術も上がってきました。自分の持っているスキルの価値がどんどん減っていくのではないだろうか….という危機感を感じていました。それは自分がちゃんと自信をもってトヨタの中にいられる人材なのか?という疑問にも繋がっていきました」
置かれている環境が、個人・組織共に大きく変化するこの時代。
自動車産業においても、現在大きな構造の転換期に突入しています。MaaS(Mobirility as a service)と呼ばれるようにICT技術が進化していく中で、人々の「移動」に対するニーズが変わってきています。人々が求めるものが変わるのであれば、その手段である「車」やそこにまつわる産業にも変化が求められます。
西田氏:「会社でも『あなたはプロフェッショナルですか?』と問われることが増えました。それは『あなたは”何”でお金をもらうに相応しい価値がある人ですか?』ということであり、『もし他トヨタの外で働いても、あなたは何で貢献できる人ですか?』という問いにもなります」
自分自身のアイデンティティが揺れ動く体験をしている西田さんに、田村さんが言葉を重ねました。
田村氏:「西田さんが言っていた『会社が無くなったとき、自分は何者なのか?』という問いは、僕にも同じような経験がありました。そのとき『自分はゼロだな』と思ったことがあるんですよね」
田村さんは新卒で大手広告代理店に就職し、メディアとコンテンツに関する事業で長らく働いていました。ナショナルクライアントのメディアプランナーを担当したのち、映画製作に携わり、その後映像コンテンツ制作・動画配信事業へと移行していきます。
エンタテインメントに関わる事業の第一線でずっと走り続ける….そんな華やかな道の中でも、ふと立ち止まることがあったそうです。
田村氏:「僕が『こういうことをやりたい』と言い出すと、様々な会社の皆さんが自分の時間を割いてでも集まってくれるのです。一瞬『俺、凄いな』と勘違いしかけたのですが、その会議中ふと禁断の妄想をしました。『ここにいる皆さん、会社の名刺がない状態の僕が声をかけて、果たして集まってくれるのだろうか。あれ?もしかしてゼロじゃないか。』と考え、とても怖くなったのを覚えています。」
田村さんの中でふつふつと「会社がないと自分は何もできないのではないか」という疑問がわいてきました。
©️『ネット興亡記』製作委員会
田村さん会社員最後のプロデュース作品『ネット興亡記』。奇しくも起業家の知られざる実話が題材となっているドキュメンタリードラマ。動画配信サービスparaviで部門別年間ランク1位となった。https://www.paravi.jp/static/netkoubouki
田村氏:「プロデューサーをやっていた当時は、自分の企画した数々の作品によってユーザーに喜んでもらえ、興行成績など成果が見え、ダイレクトに反応が得られることなどから、『エンタメは自分の能力が最も社会に貢献でき、全力を尽くせる分野』と感じていました。『次の企画は何ですか?』と周りから期待されるようになっていた矢先、管理職になったのです。当然、ここからは個ではなく、組織の一員としての視点が最優先となります。
ところが、自分自身、この先の会社人生をイメージしてなかったのです。それくらい考えておけよ、って話なんですが(笑)」
田村さんの頭の中に、①(転職という選択肢も含め)天職だと感じていたエンタメビジネスのプロデュースをやり続けるのか、②このまま会社員として組織の中で貢献していくのか、というキャリアの岐路が見え始めていました。当時の上司の配慮で、両方の可能性を探らせてもらった田村さん。しかし、お互いにとって持続可能なやり方でないことは薄々気づいていました。
田村氏:「『会社が好き』という人が多いと思います。もちろん僕自身もそうでした。会社にいることが、自分の誇りでもあり、アイデンティティにもなっている状態でした。」
しかし、組織も個人も変化し続けます。
環境変化により組織のミッション・ビジョンは変化し、個人においても、転勤や昇進、ライフイベントといった変化の中で、アイデンティティが揺れ動きます。
会社が自分に求める役割と、自分のありたい姿・アイデンティティが重ならない時もあるでしょう。
しかし、重ならない苦しさや葛藤がある時こそ、新しい自分に進もうとするパワーも生まれてくるのかもしれません。

2,越境に至るまで

田村氏:「自身が動き出す1つのきっかけになったのが、勤続20周年のセレモニーでした。会社に勤めて20年経つ社員が、表彰とお祝いの言葉をもらいます。ここで『20年経ったということは、60歳で定年と考えると”既にもう半分以上が過ぎている』ということを初めて実感し、このまま自らに問いかけることをせず、時間が過ぎていって良いのだろうか….と悶々とし始めました」
田村さんの焦燥は、まさにミドルライフクライシスの状態ともいえる40代半ばに差し掛かりより一層顕著になっていきます。
実際に外へ飛び出していくまでに2-3年モヤモヤとした時期があったとのことです。田村さんはその違和感を見過ごさず、払拭するように、小さな行動を繰り返していました。
例えば、事業に関わる本を貪るように読んだり、社会活動のワークショップに参加したり、独立し起業した友人らに今の動きを聞いたり。その中で、自ら行動し社会にインパクトを与えている彼らとは圧倒的な差がついている事を痛感します。多くの出来事が、少しずつ、田村さんを前に押し出します。その中で、田村さんの心境に変化が現れます。エンタメビジネスではなく、エンタメの持つチカラを活用して、独自の社会事業ができるのではないかという仮説に至ります。しかし、それは社会貢献の意味合いが強く、すぐには収益化できないため、会社組織としては対応できないだろうという結論に達したのです。
田村氏:「エンタメを活用し、社会にインパクトを与えるという目的のために、会社に在籍しながらも自分の判断と責任で行動をとれる場所、何かできることがないだろうか….そして自らの仮説が社会に受け容れられるか世に問うため、『ソーシャルビジネスグランプリ』というビジネスコンテストにあえて個人で出場しました」
※社会起業家育成を目的とした社会企業大学主催のイベント
田村氏がビジコンでプレゼンを行った時の写真
田村さんは、クリエイティブを街や公共空間の問題箇所に制作し、名所をプロデュースする、ソーシャルエンタテインメントの企画を立てます。名付けて、「エンタメのチカラで毎日をちょっとだけよくしたい」プロジェクト。
街中を、通常のクリエイティブとは異なる活動の場としてクリエイターに提供し、作品お披露目の場とすると同時に、地域住民の地元への無関心や落書き問題などを解決するという、エンタメと街とをつなげるアプローチです。
田村さんは、このプロジェクトで「ソーシャルビジネスグランプリ 2017」にて見事優勝します。
このグランプリでの優勝が、自分の持ち味であったエンタテインメントを社会に繋げていく場所としてのプロボノチーム「365ブンノイチ」の立ち上げに繋がっていったそうです。
一方、西田さんの越境の最初の一歩は、部内で新規事業の提案をしたところからスタートします。
西田氏:「仮に自部署の工場設備が遊休となったらどんなことに使うかを試験的に考える機会があったのです。事業開発に挑戦できるというチャンスでした。それが物凄くおもしろかったのですが、ここで失敗を経験しています。『課題』からスタートすべきところを『やれること』からスタートしてしまった。これによって自分に足りないものというのがはっきりと見えた気がしました」
西田さんにとって社内で新しい事業に関わる機会はまさに越境の1歩目。自分の仕事の在り方を客観視するきっかけとなり、そこから猛烈なインプットが始まります。自分の強みは何か、弱みは何か。これまでは自分のスキルを突き詰めていく本や学びが中心だったところから、ビジネス全般や事業開発など新しい学びへと触手が動いていきました。
「これまでの仕事はどちらかというと『改善』がベースでした。あるものをいかに良くしていくか。でも、何もない0という状態から1をつくることができる人間になりたいと、強く感じました。その視点をもって自分を見たときに、”イノベーションをうみだすための多様性がないのではないか”という1つの答えに行き当たりました」
そんな頃、社内でちょうど異業種出向を上司から紹介され、西田さんは強く希望しました。西田さんの出向先の選択基準は次の3つ。①製造業とは全く離れた場所:その方が自分のコアスキル・ポータブルスキルが確認できるから。②新しい技術・事業・価値を生み出していて、自分に足りない「多様性」が得られそうな場所。③出向先の企業の価値観に自分が共感できること。
そして、企業退職者であるアルムナイと組織の関係性を構築していく株式会社ハッカズークへの出向が決定したのでした。

3,越境に至るまでのアクション

田村さん、西田さん、それぞれ40代前後に、自分のアイデンティティが揺らぎ、今後のキャリアについて考える機会がありました。
自分が置かれている状況や組織の状況が大きく変化する中で、「自分が大切にしたいものは何か」「自分には一体何ができるのか」をじっくり考え、次の(1)~(3)のステップで行動を起こしていきます。
(1)自分が感じた違和感、焦り、危機感を無視しない
(2)自分とそして組織とを客観視する視点(リフレクション)をもつ
(3)個人の学びを深めるための小さなアクションを積み重ねる
アイデンティティの揺らぎから越境に至るまでのプロセスで、焦りや葛藤なども含めて率直に語ってくれた田村さん・西田さん。インタビュー後編では、越境によって見えてきた自分、個人と組織の関係性などについて話していただきました。
■後編記事はこちら

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